作文と読解の力を身につける。
この命題を念頭において
本の紹介動画を制作。
配信も10月に入り
95本目になりました。
感慨にふける間もなく
蔵書をかき分けながら
かつて自分が施した
頁への書き込みを読み
紹介する日々を
初夏よりはじめ
この3か月ほど
飽きずに送っています。
ここは大上段にかまえて
結論めいたことをひと言
お伝えできればと考えています。
書籍は、そのものにして
劇場もしくはその舞台を踏む役者。
文は、役者の科白を運ぶ肉声。
文字は、観客の頭に残る余韻。
このような“結論”です。
尊敬してやまない小説家
大岡昇平の 『現代小説作法』 より
第11章 ハムレット から
ハムレットは死に、
輝く健康な王子
フォーチンブラスの形で
復活するのを見て、
われわれは哀憐と浄化を経験し、
結局われわれの
おかれた環境を認知し、
その中で人間のたどるべき
運命を理解するのです。
認知と理解という
相から眺めれば
まだまだ、紙の書籍がもつ
役割は終わっていません。
表舞台で、主役は
はれなくなるかもしれません。
ですが
裏道の小劇場に立つ役者として
贔屓筋のお客さんが
しっかりとその役者を
支えていくと考えています。
むしろ、そうすべきとも。
と、なると劇場支配人の
思考と振舞いそして心粋が
すべてを形づくる原点となると
そう、考えられます。
紙の書籍に、電子書籍
動画、音声データと
それぞれの役者がもつよさを
どうプロデュースしていくか?
この場合、問われるべきは
紙の書籍がもつ将来ではなく
劇場の支配人であるといえる
出版社がもつ存在意義です。
紙の書籍という役者にのみ
衰退の原因をあてがわず
劇場の要素すべてを使って
紙の書籍にもスポットライトをあてる。
18・19世紀の出版人のように
個人ですべてを差配して
個人で出版のリスクを負い
個人がその余剰価値を享受する。
そこに戻っていくように
感じています。
そのとき作家はどうなるか?
18・19世紀のようになるならば
原稿料は限りなくゼロに近づく
と、思われます。
それがとても不都合ならば
作家が出版人を兼ねる
もしくは出版人が作家になる
そんなような状況へと
変わっていくように思います。
翻って、読解力について
いち出版人がリスクを負った
出版物が世の中にたくさん
出てくるようになったとき
そのとき、読み手の読解力が
真の意味で発揮されると
そう考えています
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