作文を書くにも書籍を読むにも
文字と接することになります。
最近、その文字についての
物質性を考えることが
多くなりました。
書籍を紹介する動画を制作。
youtubeにて配信するようになり
本日で72冊目となっています。
私が書き込みを入れた
書籍の見開きを一部撮影して
1本の動画に編集する。
この繰り返しのなかで
はじめは書籍が物質であることを
否が応でも感じていたのですが
あるとき、書籍ではなくて
紙面に並んでいる行さらに
ひと文字、一文字自体を
立派な物質として
意識している自分に
気づいたのです。
明朝体のタイポとか
字送り、行送りといった
意匠的な物質ではなく
石や木や肌などと、同じ部類の物質。
文字がそんなものに感じられたのです。
人はそれを「フェチ」
というかもしれませんが
どうもそのように
執拗な偏愛はなく
ただたんに、それなりに
持ち重りのするものを
動画のなかに、つまり
データのなかにせっせと
自分の手で送り込んでいる
そんな感覚です。
個人がもつ妙な感覚のうえに
さらに話は飛躍してしまいますが
ひとが感じるこの物質性を
データのなかに送り込み
データの表現形式をとおして
(今回の場合はyoutube動画)
ひとと共有することの先に
紙の書籍と新しい形態の書籍が
共存する世界が広がるのだろう
とうい予感がしています。
取次システムに胡座をかいた
ミリオンセラー狙いの
書籍づくりと販売により
紙の書籍をつくりだす
人の文化は自滅するかも
しれませんが
紙の書籍自体の存在意義は
滅することはないと思います。
スキンヘッドのゼロ戦男による
単行本ばかり並んでいれば
紙の書籍がもつ存在意義に
気づかなくなるのも
しかたのないことです。
その方向で考えますと
電子書籍が紙の書籍を圧迫する
こともないと思われます。
どこかいつまでたっても
はじめの一歩的な様相を拭えない
現状の電子書籍の形式こそ
消えてなくなる可能性が高い。
そう思われてしかたありません。
現状の電子書籍がもつ
データの永続性には
かなりシビアな視線を
おくったほうが無難です。
自身の考えは、けっして
紙の書籍礼賛ではありません。
ただ紙の書籍に接する
人の感覚を深く考えると
紙の書籍とまだ見ぬ
何らかの書籍が共存する
そんな世界が見えてくる
ような気がしています
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