作文と読解力について
動画の制作から考えてみます。
と突然、動画の話をするのは
【本に書き込む勇気】と題して
毎日、主に文庫や新書を1冊ほど
取り上げて本の紹介動画を制作。
youtubeにて、配信しているなかで
ひとがもつ読解力の何たるかについて
深く考えさせられたからです。
動画でご紹介している書籍は
自身が購入し、そのページへ
書き込みをした本(一部雑誌)に
限定しています。
今朝で、80冊目。
当初は本の内容と、頁への書き込みを
なんとか伝えようと腐心しておりました。
いまから考えるとなんて
さしでがましい! とさえ
感じられ、配信開始のころの
動画を見ると、その意気込みに
むしろ微笑ましくなってきます。
この「意気込み」がカラダから抜け
厚かましさが薄まってきたのは
自身が制作している動画が
「本に出会う」ときの思考の流れ
そのままをなぞっていると気づき
より丁寧に紹介の要素を
組み立てるようになってから
といえます。
ちょうど70冊を超えたあたりです。
そんなころ、紙の書籍と
WEBの情報伝達との
関わりについて話題に
なったときです。
ある方がふと
大学院生のころ教授から
図書館のなかを歩きなさい
といわれていました
と語りました。
その言葉をうけたとき
制作している動画につながり
「読解力」の見えてなかった
一面に思いにいたったのです。
そうか! 読解力はなにも
文章に接してから
行使されるだけではなく
文章に出会う、かなり前から
その力は行使されているんだ!
自身の行動を考えてみると
たしかに、新刊書店へ図書館へ
足を運ぶ前からすでにして
まだ見ぬ文章のことを
あれこれと考えている。
書評でチラと目にした
文章のこともあれば
こんな書籍はないかなあと
想像している文章のこともある。
そんなとき、思いもよらない
本や文に出会い、それがかなり
歯ごたえのある内容であっても
手に取り目にした瞬間
棚に戻したくなるほど
理解できないわけじゃない。
となると、文章に出会うまえに
その文章を理解するための
「読解力」がどこかで確実に
働いているに違いない。
そう、思いいたったのです。
言葉にしてみると
当たり前といえば当たり前の
ひとがもつ思考の流れです。
ですが、いま制作しつづけている
本の動画がこの「前期読解力」とも
名づけてみたくなる力に訴えかけている
と考えると、いろいろな現象に
あらためて合点くるところがあるのです。
この「前期読解力」を
【本に書き込む勇気】動画にて
丁寧に掘り起こしていきたいと
そう、考えています
http://gakudou.kankendo.com
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