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2014年8月6日水曜日

国語の学童 国語の健康診断vol.248

作文と読解の力を
身につけるとき


心にふと浮かぶ
小さな疑問について
考えてみます。


その疑問とは-


書きたいことは
自分の身に起った
ことだけども


ちょっと考えれば
それは誰の身にも
時と場所は違えど


やはり少なからず
生じていることで


いまさら自分が
ここで書くほどの
ことでもないかも?


という、じつは
根本的な疑問です。


そうそう特殊な出来事が
生きている間にポンポンと
起きることは少なく


作文を書く時間が
得られているということは
静かな落ち着いた時を
そこでは過ごしているわけで


作文を書くということを
正直に感じ考えると
いっこうにその筆が
進まなくなるのです。


そんな経験を
小・中学生のときに
したことがある人は

少なからずいる
のではないでしょうか?

じつはこの疑問に囚われ
まったく作文が書けなくなった
そんな時期があります。

この疑問をやり過ごして
いるだけで、解決していなかった
自分にはたと気づかされた
文庫新刊に出会い

そこにひとつの
答えがあったので
ちょっと長いですが
ご紹介します。

世界と人間

散文とは、言葉を通じての
ものごとの表現であり、
言葉を通じての表現とは、

ものごととわたくしとの
関係を限定することだと
いう場合に、限定するのは、
もちろんわたくしであって、
他の誰でもありません。

しかし、わたくしは、
ものごとの関係をわたくし自身に
対してだけ限定するのではなく、
同時に他のすべての人に対しても
限定するのである。

別の言葉でいえば、わたくしは、
わたくし自身に忠実である
ことがそれだけわたくしの
判断を普遍的にするという
信念に立って、世界を判断し、
意味づけるのであって、

わたくしの気ままな思いつきを
満足させるために
そうするのではありません。

世界と私との関係を限定することは、
わたくしにとって、世界と人間との
関係を限定することです。

『文学とは何か』加藤周一著
角川ソフィア文庫

~わたくし自身に忠実である
ことがそれだけわたくしの
判断を普遍的にするという
信念に立って~

小・中学生時代に、このような
信念を共有することができれば

作文を書くこと、書籍を読むことが
どこまで楽しい時間になったか。

やはり文章の技術だけでは
作文を書きたくなる思いが
生じることはありません。

とてもとても長くなりましたが
自身は、子どもたちとこの信念を
ゆっくりと共有しながら

子どもとともに
作文を書くことの疑問を
ゆっくり育んでいきたいと
そう考えています

http://gakudou.kankendo.com

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