作文と育児にまつわる
前提を考えていくと
そこには―
善と内面が必要という
身近な大人の思い込みが
あるように感じられます。
子どもの書く作文に
どこか善の匂いが感じられ
内面が深く描写されている。
育児に対する身近な大人の
理想はどことなく善であり
大人と子どもはつねに
心を通わすことが必須である。
3人の子どもを日々
育てながら感じることは
そんな善と内面の理想からは
対極の場所に放り出されながらも
いまこの時間のいまを峻別し
子どものいまを受入れる。
そのことだけにあくせくしている
日々つづく小さな徒労感です。
この子どものいまを
受入れる時間を我が物にする。
善や内面にかかわらず
これが作文と育児の醍醐味で
あるように感じられます。
ここでいつも
思い出すのは
地獄への道は善意が
敷き詰められている
という言葉です。
まずは、子どもを
育てている大人自身が
自分の声に耳を澄まし
子どものいまを
受入れる時間を
我が物にすることが
肝要な気がしています
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作文と育児という
人が言葉を発し
受けとめる行為を
つぶさに観察していくと
「限界」がおぼろげながら
見えてくることがあります。
それは「言葉づかい」の限界です。
人が日常、語る言葉の種類は
思った以上に少ないものです。
人の話を口述する
機会がよくあり
発言をベタ起こしした
原稿を誦読すると
発言者固有の
口ぐせを抜いたら
名詞のみで80%以上なんて
珍しいことではありません。
ここで―
この貧弱な
言葉づかいの状態と
ひとしきり嘆くのではなく
「限界」の存在は
そこまでは操作の
余地があると
楽観的に現実を見つめて
漸進的にたくさんの
「言葉の言いまわし」を
口端に上げて行くことだと
そう思われます。
「言葉」は生き物ですから
身近な環境にあるもので
まずは生息しようとします。
ただ同じ環境で工夫せずに
生きていこうとすれば
その身を寄せる環境は
やがて収穫逓減を迎え
厳しい時代が訪れます。
身近な大人がその
収穫逓減の時代に
どっぷりと浸らないようにと
まずは自らに、しっかりと
言い聞かせています
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作文で、文章を書き進める。
育児で子どもと
いっしょの時間を過ごす。
どちらもモノに注目すると
文章は思った以上に筆が進み
育児では、子どもと
すんなりと楽しく
遊ぶことができます。
文章を書くとなると
いきなり心を支配する
葛藤や嘆きや憤り。
嬉しさ、楽しさを書こうと
しまいがちです。
そうではなくて
モノに注目して
モノがどう見えるか?
モノがどう感じられるか?
を、短い文章で
書き綴ります。
子どもと過ごすときも
同様に、モノを介在して
接することから始めます。
作文と育児においては
人と人の間にあるモノは
物質でありながら
物質そのものではなく
人の感覚と人の感覚の
接触点と捉える方が
スッキリとその存在を
理解することができます。
モノの感覚と
モノへの意識を書き表し
そして、共有する。
話は大きく飛躍しますが
このモノへの感覚と
モノへの意識を書き表し
人と共有する実力を
鍛える確実な
方法があります。
お片づけと掃除です。
この両者、感覚の鍛錬と
考えると、ないがしろに
できないものがあります
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作文の宿題が
出されることも多い
春のゴールデンウィーク。
家族が集う
育児の日常が訪れ
親子の間でより多くの
言葉がかわされる
ときでもあります。
この家族がよく会話をする
GWの機会を活かして
作文の題材を、行楽地での
出来事ではなくて
家族の会話を中心にする
ことをお薦めします。
できれば―
身近な大人が
子どもに向けて
3分でも5分でも
1つの話題について
語りつづけてみます。
子どもの興味を
ひきつけながら
まとまった時間
指示するわけでもなく
命令するわけでもなく
諭すわけでもなく
ただただ語ります。
大人にとって
子どもに語りつづける
その単純な行為が
おそろしく難しいことに
気づくかもしれません。
さらに―
その大人の語りを
子どもの手で作文に
してもらいます。
大人と子どもで
言葉を紡ぐ作業は
かなり密度の濃い
時間になります。
身近な大人の語る話を
子どもが作文にする
その前と後では
子どもの語感と大人の意識が
どこかで変化しているはずです。
作文と物語と育児。
この大型連休のどこかで
正解はないけども
実りのある言葉の時間を
大人と子どもで
過ごしてみてるのも
いいかもしれません
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作文が子どもにとって
より身近なものになると
日常の情景描写に
子どもなりのメリハリが
でてくるようになります。
これが育児の現場で
思わぬ効力を発揮。
身近な大人にとって
子どもとの関わりで
得難い福音となります。
下校時、近所の
男の子がやたらと
まわりの児童に
ちょっかいを出し
迷惑を超え問題化。
わが長男も頬にキズを
負って玄関先で憤り。
心臓がバクバクして
いながらも、話は
以外に冷静。
そこで―
逃げたら追われる
追ったら逃げる
で、背後から
追ってみたら
と伝えると
数日後―
相手の背中を取ることに
どうやら難儀した様子を
こと細かに電話口で開陳。
ならばと―
相手と距離を取る。
行動に時間差をつくる。
と伝え、わが長男は
現在、戦略を練っている
ところらしい。
自らの状況を
言葉で考え
言葉で伝えて
相手の考えを
言葉で受け取る。
いわば現在進行形の作文で
果たして子どもが状況に
どこまで、対処できるか?
つぎに子どもから
詳細な報告を受けたとき
大人の介入を言葉で考え
実施に移すときと
感じています。
言葉の積み重ねで
状況と自身の間に
わずかでも隙をつくる。
育児のなかに
作文力を活かす
要点のような
気がしています
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作文に集中は
しないけども
好きな遊びには
うんと集中する。
育児の時間では
絵本や本にほとんど
気をひくことはないけど
DVDには、集中する。
このような場合
子どもが絵本や
本に馴染んだり
作文といわず
文章を好んで
書き始めるのは
大人が考えるより
わりと早いものです。
身近な大人が
読書に集中している
あわせて
文章を書いている
姿を何気なく
子どもに見せていくと
子どもも大人以上の
集中力をもって
本を読んだり眺めたり
文章を書きはじめます。
おそらく
本を読んでいる姿は
見せたことがあっても
文章を書いている姿を
子どもに見せたことがない。
そんな方も
多いかもしれません。
園児以上になると
「なに読んでるの?」
「なに書いているの?」
と顔を覗きこむように
聞いていきます。
こうなったら
しめたものです。
長い休みとなる
春のGWには
ぜひ、文章を読む
文章を書く大人の姿を
お子さまにさりげなく
見せてあげてください。
ちょっと様子が
変わるかもしれません
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作文を書く
子どもと向かい合う
育児の時間で
子どもと遊んでいる
そのときにふと
思い浮かべる
言葉があります。
肝要なのは
見ずして信じ
見ずして認め
見ずして請け合い
見ずして誓い
見ずして
お見方することじゃ
美しき思い姫
ドゥルシネーア・
デル・トボーソを
商人連に見せろと
言われて怒る
セルバンテス
『ドン・キホーテ』の
有名ないち場面の
セリフです。
狂気の沙汰では
ありますが
言葉がもつ本質をつく
セリフでもあります。
このドン・キホーテの
言葉に染まっていく
従者サンチョ・パンサ。
大人と子どもで
時間を過ごすと
この遍歴の騎士と
従者の関係であるように
感じるときがあります。
大人が騎士で
子どもが従者
という固定的な
関係ではありません。
その逆もすぐに
起こりうるという
振り子の関係です。
物語を共有するとは
もしかして、ここまで
個人的なかつ普遍的な
ことなんだなあと
近ごろ
ことあるごとに
感じています
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作文にしても
育児の時間での
子どものおかたづけでも
子どもが自ら
手を動かし頭を使い
楽しく始めてくれたら
それほど喜ばしい
状況はありません。
子どもがそうなる
確実な方法があります。
身近な大人が
文章を書く、読む
掃除洗濯、身支度を
たんたんと続ける
その姿を子どもの目に
触れさせつづけることです。
子どもが誕生してから
少なくても小学校
低学年までのほぼ8年間。
日々、飽きもせず
日常を送る大人の姿に
とことん触れさせます。
もっと漢字が読める
ようになったら
本や新聞を読んで
怒ったり
笑ったり
呆れたり
たくさんできるんだ。
大人が何かに反応し
時間を過ごしている
その姿を見て
自身が子どものときに
なんとなく思っていた
自分もできるように
なりたいなという思い。
大人になった自分が
あらためて日常生活で
子どものときに
もっていたそんな視点を
わが子と静かにじっくりと
共有していきます。
それはなにも特技である
必要はありません。
身近な大人が日々
丁寧にしていることが
むしろいいかもしれません
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作文にはじまる
言葉で綴られるものと
育児のはじめの接点は
絵本になるでしょうか。
その絵本については
さまざまなことが
いわれています。
絵本については
描写されている
美しい顔に出会って
何よりも表情に
惹かれるように
しています。
そして、絵本に
寄せられている
文章を声として
黙読で味わっています。
さらに、この自身の姿を
子どもに見てもらうように
しています。
まずは、絵本を手にして
静かにニコニコしている
そんな勝手な大人の行為を
子どもと共有しています。
いわば読み表しでしょうか。
極端かもしれませんが
子どもと絵本の時間を
過ごすときは
これで十分のような
気がしています。
読んで? と
せがまれたとき
そこでやっと
心に残った絵本の声だけ
なぞるように読みます。
子どもの顔を覗きながら
読むので、必ずしも
正確ではありません。
これもこれで
十分のような
気がしています。
本を読むのが楽しい。
その個人的な思いが
子どもと大人の間で
少しでも感じられれば
子どもと過ごす
絵本の時間は
十分だと
そう感じています
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作文と育児はすべて
人が人を介して言葉を
つないでいく作業です。
そこには、必然
物語が時間の中心に
位置してきます。
ありていに
いってしまうと
なんとなく
おいしいものに
ありつけそうな
設定の物語。
人と人の間に
でんと佇むそんな
物語の魅惑に
ひかれながらも
実際は、不条理な
先行きに対処していく。
そのような意味では
いっこうに学ぶことのない
時間に漂う物語への期待と
現実への対応の繰り返し
といえます。
人が作文で文章を
重ねるときと
育児で子どもと
対峙するときに
うんざりしながらも
物語をめぐる繰り返しを
どこかで面白がっている
局面でもあります。
アマテラス大御神が
弟のスサノヲノ命の
横暴のかぎりを許し
跳ね返りで
天石屋の奥深くに
籠もってしまったような
許しと期待と失望。
そして男まさりの女神
アメノウズメノミコトが
その足拍子で面白おかしく
閉じ籠るアマテラス大御神の
注意を引き出す画策。
解釈の仕方はいろいろですが
物語を創りだし面白がる
古事(ふること)の営みは
日常の生活にも
脈々と続いているように
感じられます。
どこか物語をめぐる
入れ子のような文章に
なってしまいましたが
太古の話にも見られ
毎日の生活のなかでも
しきりに登場する
物語をめぐる繰り返しを
ひとり面白がる心持ちが
作文にしても
育児にしても
その行為を
より親しみのあるものに
変えていくように
そう感じています
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作文や育児に大きく
かかわる要素に
時間帯があります。
巷間、よくいわれている
朝の効能は、こと作文と
育児に関してはかなり
深くまで浸透します。
卑近な例で恐縮ですが
わが家では、小学生の
長男から、園児の二男
そして幼児の三男まで
朝の時間に、10分でも
5分でも書籍を読み
もしくは眺めます。
それも決まって
朝飯前です。
起きがけのアタマが
自然と本や絵本を
開いている。
そんな光景が居間で
毎朝、たんたんと
繰り広げられています。
もちろん自身も
目指す起床時間の
1時間前に目覚め
本を読み始めます。
よく寝る前に本を読む
という習慣の方がいますが
それを起床前に行って
いるような感じです。
この習慣がつくと
1日のなかでの
思考の出番が
確実に増え
かつ感覚との連携が
上手く取れる
ような気がしてきます。
少なくとも午前中に
何かことを
なそうという場合
アタマがまわらない
状況はなくなります。
時間帯でいうと
朝は、本を開く時間。
夜は、本を閉じる時間。
この時間感覚が
生活のリズムに
本を入り込ませ
育児の時間にも
本や絵本がないと
子どもたちのなかで
どこか手持ちぶたさな
気持ちになる
環境をつくっています。
あげく、祖父母のいる
実家へお泊りに行くのに
大量の本を持っていく
という事態になっています。
知っている方は
身を持って知っている
本のない時間への恐怖が
いつしか、わが家を
静かに支配しています
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作文を書いている。
育児の場面で、子どもが
しきりに遊びに夢中に
なっている。
そんな、人が意識を
集中しているときは
自身の感覚をフルに
使いながら、自分の
思考を覗き見ている
ように感じられます。
この自分の思考を
覗きこ込むことの
さらにその先で
事象の背後に棲む
新しい発見を得ている
ようにも思われます。
計測と予測に基づいた
客観的な観察の視線。
一方で、あやふやな
先行きのなかにある
個々人の感覚。
ともすると客観と
感覚に引き裂かれ
自棄になりどちらかに
寄りかからざるを得ない
事態を招くことがあります。
おそらく誰もが
そうとは知らずに
小さなころから
行っていた
自分の思考を
覗きこんだ先に
新発見を得る
単純な行動。
そこに立ち戻ることで
客観と感覚が大きく
引き裂かれることなく
わりと中庸に思考が
進行していくとことが
多いようにも思われます。
作文や子どもの
遊びという
日常的な行為から
基本的な思考方法を
じつは相当しっかりと
身につけているのかも
しれません
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作文と育児のまわりで
よく出くわす大人の言葉に
子どもを思って
子どもの目線で
子どもが楽しいと
思ってくれるから
というものがあります。
つぎに―
やり遂げた充実感
いっしょにできる楽しみ
などの言葉が
よくつづいて
出てきます。
これは不思議なのですが
親自身に、やり遂げた
充実感がさっぱりなく
子どもといっしょに
できた感じがまったく
得られないときほど
子どもは楽しいと
思っているらしいことが
多分にあります。
また、子どもの目線と
言っている大人ほど
子どもの目線の先に
大人の充実感を
投影していることが
多いように感じられます。
これはあくまで
個人的な雑感ですが
子どもの目線とは
昔、図書館の本に
貼られていた
貸出記録の日付を
丹念に追いながら
ぼくが、私が生まれる前に
この本を、借りて読んだ
人がこんなにいるんだ。
もしくは、ぼくを私を
含めて3人だけなんだ。
と、目には見えない
つながりの世界に
じわっと足を踏み込む。
そんなときの目線の
ように感じられます。
たぶんおそらく
このような目線を
子どもと共有しているとき
大人は、子どもの目線とは
もはや言わなくなるはずです。
大人のまわりで流通する
子どもに関する言葉を
より慎重に見極めて
いく必要があるように
そう、感じられます
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作文と育児の時間が
複雑に入り組む状況。
それは、まさに自分の
子どもが宿題の作文に
じっくりと向き合っている
時間に、立ち会うときです。
子どもが感じている
ところを引き出す
というような役割を
度重なる反省から離れ
いまでは、同じ出来事に
視線を向けるのみにして
子どもの作文時間を
そばで感じています。
難しいところですが
子どものなかで
いまだ文章を前にすすめる
推進力が弱いと
そう感じられるときには
容赦なく、どうして?
どうなったの? どう言ったの?
つぎに、なんて言ったの?
と、出来事の心象に
光を当てる質問を
子どもに重ねていきます。
あくまでも、子どものなかに
出来事の感触が残っている
シーンに、自身も視線を
向けるのみにします。
でも、そこまでです。
子どもが手にしている
出来事の感触が
短いメモ書きになり
ノートの見開きが
メモでびっしり
埋まるころになると
子どものどこに
そんなスイッチが
隠されていたのか?
頭から余熱を発せず
作文を書き始めます。
大人も同様に
物語が降りてくれば
筆が進み、きれぎれの
心象風景が描写として
しっかりとつながってきます。
物語が降りてくるまでの
時間を子どもがひとりで
待つようになるころには
そのときは、自身の発破も
ひとまず、お役御免です。
そろそろ引き際の
準備をしながら
長男の来た道を受けとめ
二男のことばあそびにて
いちから歩みをはじめます
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作文をはじめとした
言葉と向かい合う時間。
育児で子どもと
過ごす時間。
この時間が自分の
生活のリズムに対して
内側にあるのか?
延長線上にあるのか?
この意識の違いが
生活にさまざまな
結果の違いを生む
ということに
子どもが新学年
そして新学期を迎えると
ひしひと気付かされます。
まず、作文。
新学期に子どもは
「◯◯について思ったこと」
という課題の作文を
出されることがあります。
文を綴ることが
意識の中で生活のリズムの
延長線上にある場合
課題の「思い」の部分に
しっかりとこだわって
作文がいっこうに
進まない状況を
迎えることに
なりがちです。
「思い」とは人の内面を
吐露することではありません。
感覚がつかんだ事象を
文字にすることです。
「◯◯と思いました」と
書かずとも、感覚が掴んだ
出来事を描写するだけで
「思い」は表現されます。
例えば―
「先生の第一声で、教室が
し~んとなりました」
「思いました」という
表現がなくとも、思いは
どことなく表出されます。
この感覚を、文字にする意識。
この意識が生活のリズムに
入っていると、いつでも
作文がサクサク書ける
ようになります。
そこで、育児。
子育てでは、感覚を声に
そして言葉にする意識が
育児のリズムに入っていると
ちょっとした難儀が
するりと解消する方向へ
行きやすくなる。
そんなこと言われなくても
わかっていますからと
女性に指摘されてしまえば
グウの音も出ないのすが
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作文と育児で
ひとつの成果が
出たなと感じるのは
いつしか
身についている
子どもの口ぐせを
ふと耳にしたときです。
なんでなんだろうなあ。
このつぶやくような言葉が
何気ない日常の場面で
子どもの口からさらりと
出てくるようになると
感覚が捉えたことを
事象と未分化な言葉に変え
自分にも他人にも投げかける
小さな思考の習慣が
身につきつつ
あるんだなあと
安堵にも似た気持ちに
カラダが浸されます。
ここまでじつに
長かったように感じるのは
大人のせっかちで
当の子どもは
自身に流れる時間から
自然と発している声。
そこに―
なんでなんだろうねえ。
と素直に返せれば
最高の応答。
なのかもしれません。
しかし、なかなか。
大人の時間に乗りながら
通りすぎるのはまだしも
果ては、調べてみれば?
と、義務に帰してしまう
こともしばしばです。
自分のなかのうちなる
子どもを大事に引き出す
習慣を、大人が身につける。
作文と育児の時間が
小さな声を投げつ
投げられるなかで
続いていきます
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作文と育児の時間を
つぶさに見ていくと
人と人との間に
言葉を置く質朴な
作業だというのが
わかります。
しかし、また
得てしてこの言葉が
すべてを表すには
はなはだ心もとない。
文字となると
本当に言いたいことを
伝えているのか?
伝わっているのか?
作文と育児の時間は
地味な割に不安が多い
時間だということにも
身につまされます。
真偽のほども言われますが
同じことを『古事記』を
まとめた太朝臣安万侶
おおのあそみやすまろも
その序に記しています。
遠い古代のことでありますから
言葉も内容も質朴であり
文を作り
句に書きしるそうにしても
文字に表すことは困難であります。
現代語訳 古事記
福永武彦 訳
小説的な面白さと
人間臭さが詰まった
古事記の序だからこその
窮状の開陳とも
考えられますが
そんな昔から言葉で
悩んでいたんだと
卑近な思いに
引きつけてみると
少しばかりホッとする
ところがあります。
なにも、自分の時間だけで
文章にしたって育児にしたって
完成させなくていいんだ。
作文と育児の時間を
大きな幅で捉える心持ちは
思った以上に効果があります
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作文と育児にかぎらず
子ども時間をともにする際
大事にするのは
つねに初めに戻って
始めるという習慣です。
成功も失敗も度外視。
ゆっくりと、その時
その時を一から丁寧に
過ごしていきます。
しかし―
言うは易く行うは難し
何事も結果は出たと
せっかちにその先にある
カタチを求め
いつしか火傷を負う
ハメに陥ってしまいます。
ですので、作文でいえば
送り仮名をしっかり書く。
句読点を丁寧に添えるなど
つねに、いろはのいから
文章を綴り始めます。
子育ての場合は
子どもが話かけてきたら
以前に聞いたことのある話でも
初めて聴くように内容を捉える
心掛けということになります。
ミース・ファン・デル・ローエの
Less is more.(少なきほど多し)。
新しい装いに目移りせず
新しいもののなかにある
はじめの一歩を見つけて
大事なものとし、伸ばす。
知的にも身体的にも
かなり体力を必要とする
この習慣を身につけながら
希望をもって臨みます
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作文と育児について
今日もちょっと
理屈っぽい
話についてです。
子どもの作文を手伝う
日々の生活で子どもと
育児の時間を過ごす。
どちらの時間も
中心にいるのは
子どもにとっては
子ども自身
大人にとっては
大人自身になります。
けっして、大人が
子どもを中心としたり
子どもが大人を
中心としたり
しないように
心がけます。
同じ時間に中心が
少なくとも2つある。
この状態を首尾よく
過ごすために必要なのが
行動の根底から
帰納法を慎重にさける
ゆるやかな習慣です。
例えば、子どもに
丸い四角はないよ。
集めてきて確かめよう!
と問いかけると
おそらく問いかけた
大人が機能しなくなるのは
火を見るより明らかです。
子どもは、緑のルビーを
探しまわり最後には
どこからともなく
見つけてくる達人です。
子どもの前で
ルビーは赤いと
帰納法で確証できないのは
言うまでもありません。
子どもと過ごす時間では
定義(ロゴス)が
名(オノマ)に
主席を譲るようにします。
すると像(エイドーロン)が
共有できるようになります。
子どもと三角形を共有する
という、じつはかなり
悩ましい壁に穴を見つけて
通り抜ける方法にもなります
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作文と育児について
少しばかり理屈っぽい
話について
育児を中心とした生活は
一時的状態の連続です。
まるで―
東から差し込んでいた
陽の光がいつのまにか
南から照らし
やがて西側にある
窓の外だけ明るくする
ような連続。
そして、その連続は
ゆっくりとしてはやく
人の意思には関係なく
気づくと確実に辺りの
表情をわずかに変えている
一時的な状態の連続です。
大げさにたとえると
この日のリズムに似た
育児の時間のなかで
大げさではなく
深く記憶に残る一瞬が
生じることがあります。
変化を感じ一瞬を捉える。
とかく自分にも子どもにも
さらに境遇にもメゲることの
多い日々過ごす育児の時間で
その面白みを味わう
いわば不文律のような
ものかもしれません。
この不文律は、作文で
文章を綴るときにも
その効力を発揮します。
文を重ねるとき
変化を感じるのは
自分そして
登場人物の
声になります
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作文をサクサクと書く
育児をタンタンと行う
ための工夫のひとつに
内面に踏み込まない
というものがあります。
作文で、内面の葛藤を
書き込もうとするのは
極力避けましょう。
何をしたか?
何を食べたか?
どんな服を着ていたか?
などなど
他人が外側からしか
捕まえられない
表面的なところで
文章を重ねていきます。
書き手の
小さな視点が起こした
物事の表面をなぞる
文章をつかみ
読み手が
物語(内容)のすべてを
目の前に浮かべられたら
作文として十分なほど
目的を達成しています。
自身の経験からすると
同じく内面に踏み込まず
外から見える子どもの
様子のみをとらえて
パズルのように子どもの
行動ひとつひとつを
組み合わせていくと
その場をこじれさせずに
過ごすことができます。
内面を扱う前に
その場の声のやりとりを
じっくりと扱うことが
作文を育児を
より扱いやすいものへと
変えていいきます
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