作文と育児のまわりで
よく出くわす大人の言葉に
子どもを思って
子どもの目線で
子どもが楽しいと
思ってくれるから
というものがあります。
つぎに―
やり遂げた充実感
いっしょにできる楽しみ
などの言葉が
よくつづいて
出てきます。
これは不思議なのですが
親自身に、やり遂げた
充実感がさっぱりなく
子どもといっしょに
できた感じがまったく
得られないときほど
子どもは楽しいと
思っているらしいことが
多分にあります。
また、子どもの目線と
言っている大人ほど
子どもの目線の先に
大人の充実感を
投影していることが
多いように感じられます。
これはあくまで
個人的な雑感ですが
子どもの目線とは
昔、図書館の本に
貼られていた
貸出記録の日付を
丹念に追いながら
ぼくが、私が生まれる前に
この本を、借りて読んだ
人がこんなにいるんだ。
もしくは、ぼくを私を
含めて3人だけなんだ。
と、目には見えない
つながりの世界に
じわっと足を踏み込む。
そんなときの目線の
ように感じられます。
たぶんおそらく
このような目線を
子どもと共有しているとき
大人は、子どもの目線とは
もはや言わなくなるはずです。
大人のまわりで流通する
子どもに関する言葉を
より慎重に見極めて
いく必要があるように
そう、感じられます
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