作文と育児はすべて
人が人を介して言葉を
つないでいく作業です。
そこには、必然
物語が時間の中心に
位置してきます。
ありていに
いってしまうと
なんとなく
おいしいものに
ありつけそうな
設定の物語。
人と人の間に
でんと佇むそんな
物語の魅惑に
ひかれながらも
実際は、不条理な
先行きに対処していく。
そのような意味では
いっこうに学ぶことのない
時間に漂う物語への期待と
現実への対応の繰り返し
といえます。
人が作文で文章を
重ねるときと
育児で子どもと
対峙するときに
うんざりしながらも
物語をめぐる繰り返しを
どこかで面白がっている
局面でもあります。
アマテラス大御神が
弟のスサノヲノ命の
横暴のかぎりを許し
跳ね返りで
天石屋の奥深くに
籠もってしまったような
許しと期待と失望。
そして男まさりの女神
アメノウズメノミコトが
その足拍子で面白おかしく
閉じ籠るアマテラス大御神の
注意を引き出す画策。
解釈の仕方はいろいろですが
物語を創りだし面白がる
古事(ふること)の営みは
日常の生活にも
脈々と続いているように
感じられます。
どこか物語をめぐる
入れ子のような文章に
なってしまいましたが
太古の話にも見られ
毎日の生活のなかでも
しきりに登場する
物語をめぐる繰り返しを
ひとり面白がる心持ちが
作文にしても
育児にしても
その行為を
より親しみのあるものに
変えていくように
そう感じています
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