作文と育児にまつわる
前提を考えていくと
そこには―
善と内面が必要という
身近な大人の思い込みが
あるように感じられます。
子どもの書く作文に
どこか善の匂いが感じられ
内面が深く描写されている。
育児に対する身近な大人の
理想はどことなく善であり
大人と子どもはつねに
心を通わすことが必須である。
3人の子どもを日々
育てながら感じることは
そんな善と内面の理想からは
対極の場所に放り出されながらも
いまこの時間のいまを峻別し
子どものいまを受入れる。
そのことだけにあくせくしている
日々つづく小さな徒労感です。
この子どものいまを
受入れる時間を我が物にする。
善や内面にかかわらず
これが作文と育児の醍醐味で
あるように感じられます。
ここでいつも
思い出すのは
地獄への道は善意が
敷き詰められている
という言葉です。
まずは、子どもを
育てている大人自身が
自分の声に耳を澄まし
子どものいまを
受入れる時間を
我が物にすることが
肝要な気がしています
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